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philosophia

筆者、鹿丸の適当な雑記ブログ

ちょびっとだけ作文がうまくなる方法を開発したよ

少しだけ、マジで少しだけ、文章パワーをアップさせる小技

ズバリ!

【いきなり書き殴るのではなく、ちょこっと愚行してからWrite!法】

いやー、私は文章がなかなかどうして下手くそなんですよ。

もう何も考えないで脳内でフラッシュした言葉をそのままズドンと投下してしまう悪癖がありましてね。

そこで独自開発したマジパネー文章力向上テクがあるんですよ。

冒頭でも申し上げた通りなんですがね。この小技を使うための執筆フローを以下にてご紹介いたしやす!

  1. 頭の中で「あ!こう書いたらいいかもねー」という文が浮かぶ。
  2. それをすぐに文章に起こさずに、じっくり7秒間考える。←ここがポイント
  3. 熟慮完了~
  4. 思索で練りに練った文を書く。

ではまずなんの思慮もなく書き殴った文章をば

「やはり文章力の向上という意味では、自分の好きな作家さんだったり自分の好きな文体を持っている書き手のマネをするのが基本らしいですよ!?」

次!思い浮かべたものをそのまま書くのではなく思慮のクッションを挟むスタイルで書いた文章(その分、書くのに時間はかかるが)

「読み手に心地よく読んでもらえる文章を作れるようになるためには、卓越した物書きによって編まれた書き物を、ただただ無心に写し取る他ない」

 

人を操る禁断の文章術

人を操る禁断の文章術

 

 

 

文章すげー下手だけどちょっとだけうまくなる方法思いついた!

文章がちょっとだけうまくなる方法

わたくし文章がド下手でございまして、なんかてっとり早く文章がうまくなる方法なんてもんはないかなー。。。と思案していたら閃きました!

 

要は「ありきたりな表現」をついつい反射的に使うのを辞めればいいんですよー。

 

【ありきたりな表現の例】:アニメが大好きです!(ふつーーー)

【個性的な表現の例】  :アニメが大好物です!(スパイスが効いてるね!)

 

みたいな感じで、ついつい日常的に何も考えずに出てきてしまうフレーズを、あまり変になりすぎない程度に、ちょいと個性的な表現に変えてやればいいんですよ。

 

でもまあコレ、文章がうまくなるというよりむしろ、アトラクティブな表現をあえて使うようにするって感じですよねー。

 

まっ、別に、文章なんて下手でもいっか( *´艸`)

 

「わかりやすい」文章を書く全技術100

「わかりやすい」文章を書く全技術100

 

 

因果関係なんて存在するの?

原因の所在

私が中高生の頃、私はどんなことにも原因があると思っていました。原因があって、そして結果があるという具合に。だから問題が発生したら何より「原因を明らかにすること」が重要だと教わったときには、「なるほど、その通り」と深く納得したものでした。

でもよくよく考えてみると原因と結果ってなんかおかしい気がするんですよねー。

例えば、私が生まれたのは両親のセクロスが原因ですよね(あんましイメージしたくねーけどorz)。で、両親が出会って結婚した原因は、家の場合、母が妹の看病で精神的に弱っていて、ついつい人のいい親父につかまったことにあるらしい。ということは、母の妹(今は元気!)が重病を患ったことが、私がこの世に存在しているそもそもの原因ということになる。ではなぜ母の妹は若くして重病を患ったのか。食生活が悪かったのかもしれないし、職場が合わず、ストレスを抱えていたからかもしれない。もし、食生活説と職場ストレス説を信じるならば、私がうまれた原因は母の妹の食生活が悪く、職場のストレスが強かったことになる。

 

こんな風に遡っていくと、母の妹の食生活が悪かった原因と職場のストレスが強かった原因こそ私が生まれた原因だと言えそうだ。

 

って、この分析。なんかおかしくないですか?

 

だって史実が分からないだけで、もっともっといくらでも原因の原因を遡っていけますよね?

 

いったい原因の所在はいづこに?!

 

 

ロジカル・シンキング―論理的な思考と構成のスキル (Best solution)

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「諦めずにがんばることが重要だ」は本当か?

「諦めなくてよかったぁ」

 

「諦めなくて本当によかった。苦しかったけれど目標を実現できて感無量だ!」

 

という心境に至るのは結局のところ一握りの「達成者」が過去を振り返ったときにだけに生じ得る感覚であろう。脳から血を垂れ流し、トイレに血尿をまき散らし、幾多の修羅場をくぐりぬけ、到底、実現できないであろうと思われた悲願を実らせた者はえてして次のような助言を好む。

 

「諦めないことが一番大切だよ!」と。

 

しかし、実際、凡夫たる私のような人間からすると「諦めないことが大切」というフレーズにはどこか違和感を感じる。

 

「どんなに無謀に思えてもチャレンジする」という気概は確かに素晴らしい。だが、実際は「諦めが肝心」というシーンの方が圧倒的に多いのではないだろうか。かっこよく言えば「戦略的撤退こそ重要」とも言い換えられる。

 

あまり抽象的なことばかり言っていてもしょうがないので何か具体例を出して考えてみよう。

 

 例えば声優になりたいという人がいたとしよう。今や声優は針の穴レベルの狭き門だ。なるほど、諦めずに声優を目指し続けていれば、常に可能性はゼロではない。諦めてしまえば立派な声優になれる可能性は限りなくゼロに近づく。20代半ば位で現実の厳しさに耐えられなくなり、声優になることを諦めた人は、利口だし、地に足がついていると思う。まだ20代そこそこならばいくらでもジョブチェンジはできるのだから。

 

だが悲惨なのは40代、50代になっても「諦めたらいかん!」と踏ん張ってアルバイトをしながら売れっ子声優を目指す場合だ。もちろん、一度きりの人生、経済合理性なんて度外視して好きなことに生涯を賭すという生き方を批判するつもりはないし、そうなってしまった人々を批判する権利なんてない。

 

でも私個人の私見を述べさせていただけるのならば、97%?あるいは99%くらい負けると分かっている声優の道で、40代、50代まで突き進んでいくことは、とても、もったいない気がする。その最大の理由は、キャリア的な失敗ではない。というよりむしろ、そこまで声優業に固執する絶対的な根拠は存在しないのではないかと思うという点だ。

 

人間の興味関心には一定の法則がある。すなわち対象について知れば知るほど興味を抱くようになるという法則だ。逆に言えば、今、特に興味のないことというのは、あまり知らないことだと言える。であれば声優以外にも心躍るような何かがあったかもしれない。広い視野でいろいろな事物に触れてみれば、あえて泥沼化するまで声優業に固執させずに済んだのではないか。

 

そういう意味でもけっして諦めずに茨の道を歩くというのは、人生を損している気がする。世界は面白いことで満ち溢れているのだから、いっそサッパリ諦めて、自分に合った、適材適所の道で存分に楽しむという選択肢もあったのではないか。

いや、確かに選択肢は常に目の前にあった。だが熱狂的な思い込みと、そこからくる視野狭窄で目前にある選択肢が見えなかったのだろう。

 

まあ、というのはあくまでシミュレーション上の話ではあるが、こうして考えてみると、「諦めずにがんばることこそ何よりも大切」という信念にはどうしても同意しかねる。個人的には、「諦めが肝心」という言葉の方が遥かにしっくりくる。なぜかというと、「諦めること」は「執着を捨てること」だと思うからだ。