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筆者、鹿丸(しかまる)の適当な雑記ブログ

うつ歴11年の鹿丸氏「シンプルなうつ病のやっつけ方を見つけたかもしれない!?」

 

うつ病をやっつける基本的な考え方

こんにちは!筆者の鹿丸です。うつ病歴11年くらいです。

 

さて「うつ病をやっつける私なりの方法」というテーマでちょっと記事を書きたいと思います。

 

私なりに思いついた、うつ病をやっつける方法の基本思想とは「うつな行為と逆の行動をできる範囲でちょっとだけでも実行していくこと」これだけです。

それをするとうつ病によくない行為というのがありますね。例えば昼夜逆転だったり。あるいはそれを実行してもうつに良くもないし、悪くもない行為というのもあります。例えばアニメを観るとか。

逆に、それを実施するとうつ病治療の一助になるような行動もあります。例えば日光浴とか。

今仮に、昼夜逆転みたいにうつ病を悪化させかねない行為を「うつ行動」と呼ぶことにします。反対に、うつ病治療の一助になるような施策を「晴れ行動」と名付けることにします。国語辞典で「うつ」の項目を引くと「心が晴れ晴れしないこと」とあったので、うつ気分の対義語は「晴れ」というわけです。

では具体的にうつ状態のような無気力や意志力の麻痺を伴う状況でも実施できる晴れ行動にはどういうものがあるのか。それを検討していきたいと思います。

うつ病をやっつけるための具体的な方法

晴れ行動を全て挙げるとけっこうな数になってしまうと思うので、具体的なうつ病治療の助けになるような行動として【片付け】と【散歩】に着目したいと思います。

晴れ行動としての「片づけ」について

5分。いや3分でも構わないです。自室の気になる部分を片付けることは、ささやかながら、うつ状態を改善する効果が期待できます

理由は簡単でスッキリするからです。もっと言えば、「晴れ晴れとした気分」になるからです。言い換えれば「うつ気分を虐待するから」とも表現できるでしょう。

「外形整えば内形自ずから整う」という精神科医森田正馬の名言があります。嫌々仕方なくで構わないので、片付けるという行為をすることで、内心が整うというわけです。

たった、3分、5分であっても部屋を片付けるという行為は鬱々とした気分の殻に対して一石を投じることになるでしょう

また認知療法の生みの親であるアーロン・T・ベックは著書『認知療法―精神療法の新しい発展,岩崎学術出版社,1990,大野裕訳』において「成功療法」という治療法を紹介しています。

成功療法とは簡単に言えば、うつ状態で気力が大きく減退していても確実に実行できるであろう課題をうつ病患者に割り当て、実行させることで、自信を回復させる技法です。

例えば、「とてもじゃないが、こんなに落ち込んでいては部屋の整理なんてできるはずがない」と頑なに信じ込んでいる方に対して、2,3分だけでいいから部屋の整理整頓をやってごらんなさい。等と、まず間違いなく実現できそうな簡単な課題を課します。そして、そうした簡単な課題を何度もこなしているうちに、次第に2,3分という極めて短い時間から始まり、20分、30分と比較的長時間、部屋の片づけができるようになる。という具合の治療戦略です。幸い、成功療法は専門家の援助を受けなくても、独力で実行できる対うつ施策です。

またなんの本で読んだのかはさっぱり忘れてしまいましたが、私は、「行動は十分に認知的である」という言葉をとても気に入っています。その意味するところは、行動することで、自分を取り巻く様々な状況に対する解釈が容易に変化し得るということです。事象に対する解釈が変われば、気分も変わります。

例えば「私は酷く辛くて無気力なので部屋の掃除など絶対にできない」という認知も、2,3分部屋を掃除するだけで少しだけ前向きな解釈に変化します。そして、2,3分の部屋の掃除を10回、20回と実行すれば、「部屋の掃除くらいならできる」という風に、認知が変化します。このような行動主導の認知の変化のことを「行動は十分に認知的である」と表現するのです。

というわけで、例えば、最初の2週間は1日3分間だけ部屋の整理整頓をし、次の2週間は1日10分だけ部屋の掃除をする。という具合に「晴れ行動」を具現し、うつ気分の檻からの脱出を図るというのはいかがでしょうか。もちろん既に部屋がピカピカの方であれば、食器洗いをするといった行為で代替して構いません。

晴れ行動としての「散歩」について

散歩にも前述の成功療法を簡単に応用できます。3分の散歩。5分の散歩。などなどからはじめて次第に30分の散歩、1時間の散歩という具合にストレッチしていけばいいわけです。

ではなぜ「散歩ごとき」がうつ病の改善に役立つのでしょうか。なぜなら散歩には3つの素晴らしい効用があるからです。

1つ目の散歩の利点は、(日中に行う場合に限られますが)「日光」を浴びることができる点です。晴れた日のさんさんと輝く太陽光はまるでうつ病を浄化するかのような力強さがあります。

2つ目の散歩のメリットは「刺激」です。うつ病を患ったことのある方なら実感の伴う形ですぐにご理解いただけると思いますが、うつ状態のときは往々にして、外出を避け、引きこもりがちになるものです。自宅には刺激がありません。見慣れたものばかりです。言い換えれば日常度が高い空間ほど刺激が少ないと言えます。自宅ほど日常度の高い場所はないでしょう。生理学的に言って、無気力感を打破し、うつ気分を抜け出すには、ちょっとした刺激が必要です。家の外は、それが例え近所であっても、自宅に比べれば遥かに多くの刺激に満ち溢れています。そうした屋外の刺激は本人を活性化させます。

尚、私の個人的な研究によれば、「電車移動を伴う2時間以上の外出」は活力を高めるのに非常に効果的です。とはいっても、もちろん最初から、そんなに長く遠くへ散策に出掛ける必要はありません。2,3分近所をうろうろするところから始めればいいのです。

3つ目の散歩の効果は「運動」です。うつ病の治療法に「運動療法」というカテゴリーがあることからも分かる通り、運動はうつ気分を虐待し、晴れ晴れとした気分を増進させます。

このように晴れ行動としての散歩は一石二鳥どころか一石三鳥の抗うつ能力を有しています。自分のできる範囲、無理のない量で、習慣化すれば散歩は驚くほど強力なうつ病治療の味方になってくれることでしょう。

まとめ

  • 1日3分でも全く問題ないので片付けや家事を実施するようにするとうつ病治療の一助となる。
  • 1日3分でもぜんぜん構わないので散歩を習慣づければ、それはうつ病治療の一助となる。
  • 1日3分の「晴れ行動」を1,2週間継続できたら、5分、8分、30分...と無理の範囲で徐々に行動量を増やしていくとさらに大きな効果が期待できる。
  • 外形整えば内形自ずから整う。

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デビット・D・バーンズの著書『いやな気分よ、さようなら』をうつ病患者に読んでもらった結果、ただ読むだけで、本書に掲載されているワークを全く実施しなくても、うつ病が改善したという研究結果があるそうです。

この例のように「ある特定の本をただ読むだけ」でうつ状態を改善する方略を「読書療法」と呼ぶことがあります。デビット・D・バーンズの著書『いやな気分よさようなら』を使って読書療法にトライしてみてはいかがでしょうか。

 

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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ちょびっとだけ作文がうまくなる方法を開発したよ

少しだけ、マジで少しだけ、文章パワーをアップさせる小技

ズバリ!

【いきなり書き殴るのではなく、ちょこっと愚行してからWrite!法】

いやー、私は文章がなかなかどうして下手くそなんですよ。

もう何も考えないで脳内でフラッシュした言葉をそのままズドンと投下してしまう悪癖がありましてね。

そこで独自開発したマジパネー文章力向上テクがあるんですよ。

冒頭でも申し上げた通りなんですがね。この小技を使うための執筆フローを以下にてご紹介いたしやす!

  1. 頭の中で「あ!こう書いたらいいかもねー」という文が浮かぶ。
  2. それをすぐに文章に起こさずに、じっくり7秒間考える。←ここがポイント
  3. 熟慮完了~
  4. 思索で練りに練った文を書く。

ではまずなんの思慮もなく書き殴った文章をば

「やはり文章力の向上という意味では、自分の好きな作家さんだったり自分の好きな文体を持っている書き手のマネをするのが基本らしいですよ!?」

次!思い浮かべたものをそのまま書くのではなく思慮のクッションを挟むスタイルで書いた文章(その分、書くのに時間はかかるが)

「読み手に心地よく読んでもらえる文章を作れるようになるためには、卓越した物書きによって編まれた書き物を、ただただ無心に写し取る他ない」

 

人を操る禁断の文章術

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文章すげー下手だけどちょっとだけうまくなる方法思いついた!

文章がちょっとだけうまくなる方法

わたくし文章がド下手でございまして、なんかてっとり早く文章がうまくなる方法なんてもんはないかなー。。。と思案していたら閃きました!

 

要は「ありきたりな表現」をついつい反射的に使うのを辞めればいいんですよー。

 

【ありきたりな表現の例】:アニメが大好きです!(ふつーーー)

【個性的な表現の例】  :アニメが大好物です!(スパイスが効いてるね!)

 

みたいな感じで、ついつい日常的に何も考えずに出てきてしまうフレーズを、あまり変になりすぎない程度に、ちょいと個性的な表現に変えてやればいいんですよ。

 

でもまあコレ、文章がうまくなるというよりむしろ、アトラクティブな表現をあえて使うようにするって感じですよねー。

 

まっ、別に、文章なんて下手でもいっか( *´艸`)

 

「わかりやすい」文章を書く全技術100

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因果関係なんて存在するの?

原因の所在

私が中高生の頃、私はどんなことにも原因があると思っていました。原因があって、そして結果があるという具合に。だから問題が発生したら何より「原因を明らかにすること」が重要だと教わったときには、「なるほど、その通り」と深く納得したものでした。

でもよくよく考えてみると原因と結果ってなんかおかしい気がするんですよねー。

例えば、私が生まれたのは両親のセクロスが原因ですよね(あんましイメージしたくねーけどorz)。で、両親が出会って結婚した原因は、家の場合、母が妹の看病で精神的に弱っていて、ついつい人のいい親父につかまったことにあるらしい。ということは、母の妹(今は元気!)が重病を患ったことが、私がこの世に存在しているそもそもの原因ということになる。ではなぜ母の妹は若くして重病を患ったのか。食生活が悪かったのかもしれないし、職場が合わず、ストレスを抱えていたからかもしれない。もし、食生活説と職場ストレス説を信じるならば、私がうまれた原因は母の妹の食生活が悪く、職場のストレスが強かったことになる。

 

こんな風に遡っていくと、母の妹の食生活が悪かった原因と職場のストレスが強かった原因こそ私が生まれた原因だと言えそうだ。

 

って、この分析。なんかおかしくないですか?

 

だって史実が分からないだけで、もっともっといくらでも原因の原因を遡っていけますよね?

 

いったい原因の所在はいづこに?!

 

 

ロジカル・シンキング―論理的な思考と構成のスキル (Best solution)

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「諦めずにがんばることが重要だ」は本当か?

「諦めなくてよかったぁ」

 

「諦めなくて本当によかった。苦しかったけれど目標を実現できて感無量だ!」

 

という心境に至るのは結局のところ一握りの「達成者」が過去を振り返ったときにだけに生じ得る感覚であろう。脳から血を垂れ流し、トイレに血尿をまき散らし、幾多の修羅場をくぐりぬけ、到底、実現できないであろうと思われた悲願を実らせた者はえてして次のような助言を好む。

 

「諦めないことが一番大切だよ!」と。

 

しかし、実際、凡夫たる私のような人間からすると「諦めないことが大切」というフレーズにはどこか違和感を感じる。

 

「どんなに無謀に思えてもチャレンジする」という気概は確かに素晴らしい。だが、実際は「諦めが肝心」というシーンの方が圧倒的に多いのではないだろうか。かっこよく言えば「戦略的撤退こそ重要」とも言い換えられる。

 

あまり抽象的なことばかり言っていてもしょうがないので何か具体例を出して考えてみよう。

 

 例えば声優になりたいという人がいたとしよう。今や声優は針の穴レベルの狭き門だ。なるほど、諦めずに声優を目指し続けていれば、常に可能性はゼロではない。諦めてしまえば立派な声優になれる可能性は限りなくゼロに近づく。20代半ば位で現実の厳しさに耐えられなくなり、声優になることを諦めた人は、利口だし、地に足がついていると思う。まだ20代そこそこならばいくらでもジョブチェンジはできるのだから。

 

だが悲惨なのは40代、50代になっても「諦めたらいかん!」と踏ん張ってアルバイトをしながら売れっ子声優を目指す場合だ。もちろん、一度きりの人生、経済合理性なんて度外視して好きなことに生涯を賭すという生き方を批判するつもりはないし、そうなってしまった人々を批判する権利なんてない。

 

でも私個人の私見を述べさせていただけるのならば、97%?あるいは99%くらい負けると分かっている声優の道で、40代、50代まで突き進んでいくことは、とても、もったいない気がする。その最大の理由は、キャリア的な失敗ではない。というよりむしろ、そこまで声優業に固執する絶対的な根拠は存在しないのではないかと思うという点だ。

 

人間の興味関心には一定の法則がある。すなわち対象について知れば知るほど興味を抱くようになるという法則だ。逆に言えば、今、特に興味のないことというのは、あまり知らないことだと言える。であれば声優以外にも心躍るような何かがあったかもしれない。広い視野でいろいろな事物に触れてみれば、あえて泥沼化するまで声優業に固執させずに済んだのではないか。

 

そういう意味でもけっして諦めずに茨の道を歩くというのは、人生を損している気がする。世界は面白いことで満ち溢れているのだから、いっそサッパリ諦めて、自分に合った、適材適所の道で存分に楽しむという選択肢もあったのではないか。

いや、確かに選択肢は常に目の前にあった。だが熱狂的な思い込みと、そこからくる視野狭窄で目前にある選択肢が見えなかったのだろう。

 

まあ、というのはあくまでシミュレーション上の話ではあるが、こうして考えてみると、「諦めずにがんばることこそ何よりも大切」という信念にはどうしても同意しかねる。個人的には、「諦めが肝心」という言葉の方が遥かにしっくりくる。なぜかというと、「諦めること」は「執着を捨てること」だと思うからだ。