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philosophia

筆者、鹿丸の適当な雑記ブログ

「諦めずにがんばることが重要だ」は本当か?

「諦めなくてよかったぁ」

 

「諦めなくて本当によかった。苦しかったけれど目標を実現できて感無量だ!」

 

という心境に至るのは結局のところ一握りの「達成者」が過去を振り返ったときにだけに生じ得る感覚であろう。脳から血を垂れ流し、トイレに血尿をまき散らし、幾多の修羅場をくぐりぬけ、到底、実現できないであろうと思われた悲願を実らせた者はえてして次のような助言を好む。

 

「諦めないことが一番大切だよ!」と。

 

しかし、実際、凡夫たる私のような人間からすると「諦めないことが大切」というフレーズにはどこか違和感を感じる。

 

「どんなに無謀に思えてもチャレンジする」という気概は確かに素晴らしい。だが、実際は「諦めが肝心」というシーンの方が圧倒的に多いのではないだろうか。かっこよく言えば「戦略的撤退こそ重要」とも言い換えられる。

 

あまり抽象的なことばかり言っていてもしょうがないので何か具体例を出して考えてみよう。

 

 例えば声優になりたいという人がいたとしよう。今や声優は針の穴レベルの狭き門だ。なるほど、諦めずに声優を目指し続けていれば、常に可能性はゼロではない。諦めてしまえば立派な声優になれる可能性は限りなくゼロに近づく。20代半ば位で現実の厳しさに耐えられなくなり、声優になることを諦めた人は、利口だし、地に足がついていると思う。まだ20代そこそこならばいくらでもジョブチェンジはできるのだから。

 

だが悲惨なのは40代、50代になっても「諦めたらいかん!」と踏ん張ってアルバイトをしながら売れっ子声優を目指す場合だ。もちろん、一度きりの人生、経済合理性なんて度外視して好きなことに生涯を賭すという生き方を批判するつもりはないし、そうなってしまった人々を批判する権利なんてない。

 

でも私個人の私見を述べさせていただけるのならば、97%?あるいは99%くらい負けると分かっている声優の道で、40代、50代まで突き進んでいくことは、とても、もったいない気がする。その最大の理由は、キャリア的な失敗ではない。というよりむしろ、そこまで声優業に固執する絶対的な根拠は存在しないのではないかと思うという点だ。

 

人間の興味関心には一定の法則がある。すなわち対象について知れば知るほど興味を抱くようになるという法則だ。逆に言えば、今、特に興味のないことというのは、あまり知らないことだと言える。であれば声優以外にも心躍るような何かがあったかもしれない。広い視野でいろいろな事物に触れてみれば、あえて泥沼化するまで声優業に固執させずに済んだのではないか。

 

そういう意味でもけっして諦めずに茨の道を歩くというのは、人生を損している気がする。世界は面白いことで満ち溢れているのだから、いっそサッパリ諦めて、自分に合った、適材適所の道で存分に楽しむという選択肢もあったのではないか。

いや、確かに選択肢は常に目の前にあった。だが熱狂的な思い込みと、そこからくる視野狭窄で目前にある選択肢が見えなかったのだろう。

 

まあ、というのはあくまでシミュレーション上の話ではあるが、こうして考えてみると、「諦めずにがんばることこそ何よりも大切」という信念にはどうしても同意しかねる。個人的には、「諦めが肝心」という言葉の方が遥かにしっくりくる。なぜかというと、「諦めること」は「執着を捨てること」だと思うからだ。